Ia orana!
ポリネシアの文化や自然はとても魅力的で憧れの地ですが、その歴史や起源をご存じでしょうか?
ハワイ文化と似ているけど繋がりはあるのでしょうか?
実はポリネシアとは、ハワイ・ニュージーランド・イースター島を結ぶ三角形の領域内にある島々の総称です。(三角形の真ん中あたりにタヒチがあります)
本日は、いまだ多くが謎に包まれているフレンチポリネシアの歴史について、書かせていただきたいと思います。
最初のポリネシア人は、南米から集団移動してきたという説もありますが、実はモンゴロイドだったという説が有力です。モンゴロイドはユーラシア大陸を南下し、紀元前10世紀頃さらに東南アジア方面から太平洋を南下しました。
つまり、フレンチポリネシアの歴史は彼らの漂着から始まることになります。
木の葉のように頼りないカヌーに乗って、サモア、マルケサス諸島を経て、紀元後3~4世紀にソシエテ諸島(タヒチ島を含むエリア)に定住し始めたといわれています。
14世紀頃までに彼らはここからさらにニュージーランドやハワイへと散り、ポリネシア文化圏を作ることになります。
16世紀頃になると、多くのスペイン船、ポルトガル船がこの海域を航行するようになります。当時のヨーロッパでは南方大陸には巨万の富があると信じられていたため、多くのヨーロッパ人が航海しました。
ポリネシアの人々は南国特有の寛容さで、異国の人々を歓迎したことから、地上の楽園のイメージを増長させ、皮肉にも多くの文明悪をタヒチの島々に運ぶことになってしまいました。
1788年 バウンティ号の反乱、1797年 イギリスの宣教師団が入島、1838年にはフランスのカトリック宣教師団もやってきました。彼らはポリネシア伝統の信仰や習慣を非難し、宗教の神殿マラエを破壊。ポリネシアの人々は次々とキリスト教化されていったのです。
同じ時期にポリネシア人のTou/トゥが全島征服を企て、ポマレ王朝を打ち立てポマレ1世として即位します。しかし、ヨーロッパの大国の勢力争いに巻き込まれあえなく倒れてしまいます。
ポマレ4世は、列強の支配を恐れいくつも策を練りますが、1842年、タヒチ・モーレア両島をフランス保護領とする条約にサインをしてしまいます。そして1880年、ポマレ5世はフランスに説き伏せられ主権をフランスに譲渡してしまいます。
ポマレ5世は、王朝最後の王となり、ポマレ王朝は消滅します。同時にフランスは、オセアニアにおける初めての植民地を誕生させたことになります。
1957年、この地域は「フランス領ポリネシア」と命名されました。翌年の住民投票では、住民は独立を選ばずフランスの海外領土となる道を選んでいます。
フランス領ポリネシアは、このような歴史をたどって現代にいたっています。
実際にタヒチへ足を運んでみると、歴史的な足跡を感じられる文化、伝統、建造物など多くあります。そのような観点からご旅行をされてみると、より一層深みのある、素晴らしい旅になるかと思います。ぜひ今後のご参考になれば嬉しいです!
Mauruuru,
※写真出典 : wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%82%B7%E3%82%A2